皆さんこんにちは、アイヤイヤーです。
天気の子の小説を読んだので感想を語っていきたいと思います。
映画については以前書いたので以下の記事をご覧下さい
小説は一応原作扱いですが、映画のノベライズで映画より先に出来たって感じですね。
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1.感想
1-1.帆高の内面描写
1-2.大人と子供
1.感想
大筋は映画と同じです。
その為映画と違う部分(厳密言えば映画よりも印象が強く残る様な描写も含む)について書いていきます。
以下ネタバレを含みます。
1-1.帆高の内面描写
映画と比べると帆高の内面描写が濃くなっています。
帆高が東京に来た理由が映画版と比べて早く出てくる為、映画版と違って後付感というか、そんなことなの?って感じがしないです。
須賀と夏海の人間性を語るシーンも印象的です。
二人とも帆高のことを家出少年ではなく、当たり前の従業員として当たり前に扱ってくれ、当たり前の様に成長を期待される。
それは東京に出てきて、現実に打ちのめされ、帆高個人としてではなく家出少年等のレッテル貼られた帆高にとっての救いでした。
1-2.大人と子供
小説版では映画版と比べて、非常に強く「大人と子供」がキーワードであるという印象を感じました。
映画版を見ただけだと、陽菜が年齢をサバ読んでるのはバイトの為?位の印象でしたが、小説版を読んで(バイトの為はあるが)凪と2人で暮らすのが問題無い年齢の18歳なんだなと分かりました。
「子供」である夏海は帆高と関わる中でモラトリアムを終えて「大人」になります。
個人的に1番子供と大人を感じたシーンは、帆高が犯罪者である事の認識です。
3人でラブホテルに泊まった時には、犯罪者の容疑がかけられている帆高がまるでヒーローの様な扱いです。
これは3人とも子供だからそう感じているのだと思います。
実家に送り返され、卒業式を迎えた帆高に前科持ちかを尋ねて盛り上がる高校の後輩の女子2人ですが、彼らもまた子供です。
この時の帆高の反応を見るに、この時点で既に彼は大人になっていると感じました。
自分の解釈だと、再び東京を訪れて陽菜に出会うまでは大人ですが、陽菜に出会い子供に戻り終わるイメージです。
陽菜は子供→空に消える→大人→帆高の手を取り地上に戻る→子供→ラストで、帆高を東京で待っている間もずっと子供だった印象を受けます。
今回はここまです。
大筋は映画と同じですが、見え方が違ったりしてそれぞれの良さがありますね。
因みに私は基本的に原作(小説派)で原作を超えた映像作品と思っているのは4畳半神話大系だけです。
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