皆さんこんにちは、アイヤイヤーです。
昨日前々から観たかったペンギンハイウェイが近くのゲオにあった為、いつもの鑑賞会で観たところ、なんとも言えない感じだった為、そこから家にすぐさま帰って途中で読むのを辞めていた原作を最初から読み直しました。
今回は感想もありますが、どちらかと言えばお姉さんの正体やおっぱい、世界の果てといったキーワードについての考察がメインです。
この作品自体が人によって様々な解釈が出来ると思うので、言うなれば「アイヤイヤー仮説」と言ったところですね。
1.作品の世界観等
2.映画感想
3.小説感想、考察
1.作品の世界観等
新しく出来た街の住宅街に住んでいる少年の僕(アオヤマ)。
僕は立派な大人になる為に、日々研究や様々な事を考えています。
一緒に様々な所を探検や研究したりする研究仲間のウチダ君とハマモトさん。
僕は様々な研究をしているけど、その中でも特に興味深いのは宇宙、歯科助手のお姉さん、そして街に現れた「ペンギン」───
といった感じです。
ジャンルとしては恋愛要素ありのファンタジーという感じですが、個人的にはファンタジー寄りの恋愛「前」映画と言った感じでしょうか?
少年の成長が子供の目線で書かれています。
作者は森見登美彦。
代表作は夜は短し歩けよ乙女、四畳半神話大系、有頂天家族シリーズ。
上記の作品は全て映像化されています。
京都を舞台としたパッとしない大学生の青春恋愛ものを比較的良く書きますが、ホラーや恋愛、不思議な話など割となんでも書ける感じです。
ただ恋愛系で舞台が京都でなく、主人公が小学生の男の子というのは結構珍しいですね。
以下ネタバレ含みます
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2.映画感想
映像作品としては非常に良いですが、ストーリーはイマイチで総合としてやや良いと言った感じです。
海の表現、コーラの感がペンギンに変身する過程やラストのペンギン達と乗り込むシーン等の描写が非常に良かったです。
声優陣もマッチしています。
先に小説を半分読んでからの視聴だった為、自分のイメージと比べるとお姉さんはやや地味、逆にハマモトさんは垢抜けて印象でした。
父親はイメージよりも爽やかそうなイケメンですかね?
ウチダ君が幼ないのは尺の都合上ですかね?
お姉さんが人ではないという伏線が割と分かりやすく、また早めにありましたね
殆ど手が付けられていないパスタ
ストーリーに関してはファンタジーな魔法のお話にするには理論的過ぎるし、合理的に考えるには材料が足りな過ぎるというところでしょうか?
映画を見終わった時の感想としてはお姉さんが宇宙人によって送り込まれた兵器?の様なものといった印象でした。
アオヤマ君が、僕がペンギンを作るのを辞めさせたからジャバウォックを·····に対して、どうせいつかは作ってたよといった感じの返しをしており、お姉さんの本来の使命がジャバウォックを作る=海を成長(暴走)させる事の様に思われます。
海が弾けた跡では植物が成長している為、緑化するのが目的では?という感じです
そう考えた時に、何故お姉さんが最終的に海を壊したかと言えば、アオヤマ君が好きになったからと言うのが妥当でしょうか?
どうにも根拠としては薄い気もしますが。
ジャバウォック、ペンギンは共にお姉さんから作られていますが、海はお姉さんが作ったのか、それともお姉さんが海から産まれたのかは分かりませんね。
と色々書いたものの、お姉さんの描写がとても魅力的であり、アオヤマ君とお姉さんの絡みを見てるだけで大体の事はどうでも良くなりそうと言うのが本音です。
3.小説の感想、考察
小説を読んで一番驚いたのはお姉さんに対する印象です。
映画とは一転して、ペンギンにより世界を修復するのが使命の様な印象を受けました。
相変わらずお姉さんの正体に関しては結論が出ませんが、映画には無かった神様の存在が出てきます。
ジャバウォックが喋るシーンがどこまでジャバウォックの発言か分かりませんが、神様の手違いで生じた「海」を修正する為にお姉さんが使わされたのかな?と考えています
そう考えれば海が無くなる=お姉さんの使命が全うされるという図式がしっくり来ますね。
ただ、海の中がお姉さんの過去の思い出に基づいてると考えると、お姉さんが海を作った説も捨て難いですし、そう考えるとお姉さん自信が神様である可能性もあります
また「海」の性質として時間移動が存在し、「海」の中は巨大化した「海」に飲み込まれ、果てしない時間が経過した後にカンブリアに戻った街に思われます。
お姉さんについては相変わらず謎ですね。
ここからは私が特に重要と考えている3つのキーワードについて考えています
①おっぱい
映画でもキーワードの様になっていますが、原作では映画とはかなり違った意味合いを持っています
彼女はまだ大人でないから、おっぱいは存在しない。
本文p75より
この彼女とはハマモトさんを指しています。
これは僕(=アオヤマ)にとって、おっぱいとは大人の象徴であるということではないでしょうか?
僕がお姉さんを好きなのは顔や仕草等様々な要素がありますが、取り分けおっぱいに惹かれているのは、早く大人になりたい僕にとって、おっぱいという大人の象徴を持っているが、とても魅力的に写っているのでは?ということです。
映画版ではこの意図で使われているシーンがほぼ存在しない為、この点に気づきづらくなっています。
②チョコレート、チョコミント
父が先週のおみやげに買ってきたチョコレートでら薄いチョコレートの板の間にペパーミントのペーストが挟んであるものだ。父と母はこのチョコレートは大人のチョコレートだからという理由で~
p172より
もう1箇所は忘れてしまいましたが、本文中に僕はチョコミントが好きという旨が書いてあります
これから僕はチョコミントを好きであり、その理由は大人っぽいからと推測出来ます。
また父親と話をしてからチョコを貰うという行為も、立派な大人である父親に認めて貰える点に喜びを見出しているように感じます
またチョコを貰うシーンでの「うまくいえないけれど、お姉さんはとてもふしぎで面白い。大変興味がある」をお父さんは恋心の芽生えと捉えている様に思われます。
実際にはペンギンに関する謎ですが、恋心が芽生えており、本人がそれを自覚していないのも事実なので案外外れてもいません
僕の恋心の芽生えについては最後以外にも、プールでの「私がペンギンを出せなくなったら研究辞める?」に対する否定からも読み取れます
③世界の果て
映画では「世界の果て」という言葉はとても遠く、または穴であり、本当に世界の果てである「海」を示す言葉でしたが、小説版では別な意味合いを持っています
「そこにも世界の果てがあるね」と父は言った。
「どこ?」
「おまえが理不尽だと思うことさ。お前にはどうにもできないのだから。」
p380より
この場合の世界の果ては自分の可能な限界の先(外)と考えるのが適切に思われます。
その後に出てくる世界の果てに通ずる道=ペンギンハイウェイを辿っていけばいつかお姉さんに辿り着くと僕は信じて(願って)います。
これは自分の限界を少しずつ超えていく事、つまり日々学び、昨日の自分の事を上回っていくことです。
僕は夏休みの不思議な思い出を胸に、お姉さんに再び会える事を願いながら日々成長していこうと希望に満ち溢れています
個人的には
もう一度、「ふうん」というお姉さんの声が聞きたいとぼくは思うものだ。
という1文がラストに持ってきているのがとても好きです。
僕が恋心を自覚し、褒めてくれなくて良いから、ただお姉さんに傍にいて欲しいと気持ちが伝わってきて尊さが振り切れました。
今回はここまでです。
やはり映画を観て、そのまま原作を読むと筆が進みますね。
あれこれ書いたんですけど、そもそも僕がおねショタがとても好きなのでフィルターが曇っているみたいな説はあります。
解釈の仕方がかなり広く、人によって解釈が変わりそうですね。
「鏡の国のアリス」について名指しで書いてある為、これを読む事で印象が変わるのかな?という事が心残りです
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