紙オタクのオタク語り

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Refind self :「いのり」は何者なのか?

皆さんこんにちは、アイヤイヤーです。


なんやなんかで社会人になり、最近はコンシューマーゲームをめっきりプレイしなくなっていました。
そんな自分がTwitterのTLで見かけた、「Refind self」というゲームをプレイし、ちゃんとクリア(3周)しました。

最近記事を書いてないので、いい機会かと思って筆を取った次第です。


本記事では、ゲームの感想、及びタイトルにもある「いのり」というキャラを考察していきます。







以下ネタバレ(3周まで)注意です。




1.ゲームの感想
2.「いのり」について







1.ゲームの感想について


ゲームのストーリー自体は面白いと思いますが、飛び抜けて良いという程ではありません。

ストーリーで好きな点としては、3周目の博士が評価表を見てでも良いからうつわを生き延びさせたい=過程はどうでもいいから、うつわが生き延びるという結果が欲しい!なのに対し、うつわが結果よりも過程を重視している点(100年後に何も知らない博士と生きることを本当の幸せでないと言っている)でしょうか?
(ここら辺は見返せないこともあって、間違いがあるかもしれません)


BGM、世界観は少し物悲しい感じで、EDの歌含めて良かったです。


システム面としては、よくあるいくつかの選択肢による性格診断ではなく、答えないや答えるまでの過程なんかも含めた診断だったり、その結果を他者と比較、他者の何割がその選択肢を選んだか?を知れるのが非常に斬新でした。

個人的には、本作はこのシステム面が素晴らしいと思います。





2.「いのり」について


本作の登場人物の1人である「いのり」ですが、物語の鍵を握る「羊」の管理者であり、毎週の最後に立ちはだかる「ラスボス」でもあります。


意味深な発言をすることもあり、謎が多いキャラです。
本記事では、この「いのり」について考察していこうと思います。


まず、「いのり」はほぼ間違いなくロボットです。

戦闘の際に、「説得する」コマンドを連打し、彼女の矛盾を指摘することで、論理の破綻を起こして行動不能になってしまいます。



では、「いのり」はただのロボットなのでしょうか?

私は、後述する理由から、彼女はEAIだと考えています。



ここで、一旦ゲームのストーリーを博士、及びプレイヤー視点で整理してみます。


まず、友達が欲しい博士がオリジナルのEAI(うつわ)を作りました。


その技術は模倣され、世の中にEAIが溢れました。


様々な理由からEAIは破棄されることとなり、博士はうつわの破棄を命じられます。


人類に嫌気がさした博士は、ナノマシンの散布により人類を根絶し、羊の中に自身のDNAを保存、ナノマシンが浄化された100年後に自身のクローンを作成し、うつわと共に生きる計画を立て、実行に移しました。


しかし、事前のシミュレーションでは何回やろうとうつわが羊を破壊してしまい、計画は頓挫してしまいます。

ここで、このシミュレーションの内数回を、私たち「プレイヤー」であり、記憶を失っている本作品の「主人公」が100年前のゲームという形で追体験します。


自身の死が迫っている博士は、計画の完璧な遂行を諦め、「プレイヤー」視点での3周目の最後にうつわから全ての思い出を消すのでした。



その後のタイトル画面にいる「管理型」の話から推測すると、恐らく「主人公」が100年後に目覚めた博士であると思われます。

ならば、計画は一定の成功をした訳であり、博士がうつわの思い出を消した後の話だと推測できます。
ならば、博士に面白い出を消され「うつわ」は、オリジナルのEAIはどうなってしまったのでしょうか?


私は、それこそが「いのり」だと考えています。

「羊」を守り、計画の遂行を絶対とする彼女には、博士との思い出はなく、命令だけが残っていました…。



もし「いのり」=「うつわ」なら、シミュレーション時に両者が共存しているのは矛盾していることになるのですが、「主人公」がプレイしているのはあくまでも100年前のゲームを通してのシミュレーションの追体験であり、実際の状況やシミュレーションとは少し違ったのかなと思っています。



ややこじつけ気味になってしまいましたが、「いのり」のポジションが他と比べて特殊なこともそう考えている理由です。



「いのり」について整理すると、
「ロボット」であり、博士の「クローン」を作る為のDNAを保存した「羊」を管理しています。


「ロボット」と「羊」に注目すると、
有名なSF小説である「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」が思い浮かびます。
本作の映画化作品である、「ブレードランナー」は誰しも名前を聞いたことがある程度に有名かと思います。



これらの作品は、人間とはなにか?人間とアンドロイド(レプリカント)との違いは?をテーマとした作品であり、人間や感情、人間らしさがキーワードとなるSFチックな本作との共通点が多いです。

人間とアンドロイドが平和な暮らしを求め、社会から逃亡しようとする点も一緒と言えるかもしれません。




次に「クローン」と「羊」に着目すると、
「クローン羊のドリー」が挙げられます。



ドリーは、世界初の哺乳類動物の体細胞クローンであるメスの羊であり、今日は教科書になっており、クローンの話をする上で語られる存在です。


SF世界や現実世界でのクローンについては、よく作られる側(作られたクローン視点)での倫理が問題となります。
クローンの元である博士は、自身のクローンである存在への思い出の書き込みを望んでいますが、クローン博士がそれを望むとは限りません。


「主人公」の記憶が無い=博士の記憶が書き込まれていない所を見るに、後付けの記憶では意味が無いことをうつわに説かれた博士は、自身の記憶を書き込まないことを選んだのでしょうか?
もしかしすると、全てを忘れた「いのり」(うつわ)と過去を知った「主人公」の物語はこれから始まるのかもしれません。



最後に、「いのり」と「羊」に注目すると、
キリスト教の「羊飼い」の概念が想像できます。



ややこじつけ気味かもしれませんが、「いのり」は間違いなく「祈り」であり、宗教や神といった要素と切り離せないものです。

まあ、神が居るとするならば、あのような悲劇の末に人類が根絶されることもなかったかもしれませんが。


私自身キリスト教にはあまり詳しくないのですが、インターネットで調べた感じでは、以下の言葉がしっくり来ました。


「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」
ヨハネによる福音書より


作中の「いのり」は、正しく命懸けで羊を守るそんざいです。

また、当時の羊飼いは蔑まれる職業(存在)であったらしく、「いのり」=「うつわ」=EAIだとするならば、この点でもしっくり来ます。






また、「管理型」(最初の画面や研究室地下にいるやつ)によれば、計画を知っているのは3人だけだそうで、うつわ、管理型の2人を除くと、残り1人になります。



博士という考え方もありますが、博士が既に死んでいる(シュミレーションの設定上)こと、無茶苦茶なお方が恐らく博士であることから、このもう1人が「いのり」ではないかと考えています。



以上が、私の「いのり」に対する考察でした。










本記事はここまでです。

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