紙オタクのオタク語り

紙オタクがmtg、小説、映画、ゲームなどについてダラダラと書いていくブログです。

ドグラ・マグラ 小説 感想

みなさんこんにちは、アイヤイヤーです。


最近少しずつ読み進めていた、ドグラ・マグラを含む短編集を読み終えたのでそれについて語っていきます。


f:id:youmoulove:20191022180250j:plain


スポンサード







1.ドグラ・マグラの作品や世界観について
2.感想












1.ドグラ・マグラの作品や世界観について

1935年に刊行され、日本探偵小説三大奇書に数えられる1冊です。

既に青空文庫で読めるみたいですね。

私はこの作品を「アルターエゴ」というアプリで知りました。
「アルターエゴ」もなかなか面白いのでオススメです。


世界観としては大正15年ごろ、九州帝国大学医学部精神病科の独房に閉じ込められた、記憶喪失のある青年患者の話で、「私」が自分が何者であるかを少しずつ知り、「私」やその周辺の秘密に翻弄される物語です。


ジャンルは作者の言葉を借りるなら、極度にグロテスクな、端的にエロチックな、徹底的に探偵小説式な、同時にドコドコまでもノンセンスな・・・一種の脳髄の地獄・・・もしくは心理的な迷宮遊びです。

微塵も想像がつきませんが、ある意味でそれがドグラ・マグラらしいと言えます。


主人公が自分に関わる秘密を少しずつ知り、推測していく展開から推理小説と言えますが、ストーリーの半分が別な2人組が主役のレポートなり、インタビューなりで特定のジャンルに分類するのは非常に困難です。





2.感想

以下ネタバレ含みます











とにかく長いです。

600ページ越えとそもそもページ数が多いのに、論文やインタビュー、狂歌風や古文と目まぐるしく文章の形式が代わり、言葉使いが古いのも相まって中々進みません。
読むスピードは比較的速い方なのですが、1時間で50ページ位しか進みませんでした・・・。


内容の方ですが、とにかく難解ですね。


本編の中に精神病患者(呉一郎と思われる)が書いたドグラ・マグラという本が出てき、その内容が本編と同じで、まるでドグラ・マグラを読んでいる「私」(呉一郎)が出てくるドグラ・マグラ(手元の本)を読んでいる「私」(読者自身)を読んでいる・・・という無限鏡合わせのようです。


本が好きな友達にどんな本なの?と聞かれ、概要だけでも伝えようとしましたが、あまりにも話が入り組んでいて不可能でした・・・。


そもそも「私」はどの時点での10/20、10/21、11/21の私なのか、それとも胎児なのか?
M、Wのどちらが悪者なのか?それともどちらも悪者なのか?そもそもMの告白は真実であったのか?
Tを殺したのは両博士のどちらかなのか?それとも呉一郎が途中で考えたように偶然なのか?
全てが謎に包まれています。


個人的に印象に残ったのは、度々出てくる脳髄の〇〇(特に脳髄の地獄)と細胞1つ1つの素晴らしさについてです。


脳髄の地獄というフレーズは、以前紹介した「虐殺器官」に出てくるアレックスの、「地獄はここにあります。頭のなか、脳みそのなかに。大脳皮質の襞のパターンに。目の前の風景は地獄なんかじゃない。目を閉じればそれだけで消えるし、ぼくらは普通の生活に戻る。だけど、地獄からは逃れられない。だって、それはこの頭のなかにあるんですから」
を思い出しました。

M、W共に、罪の意識から来る頭の中の地獄(鏡)から逃れる為に罪を誰かに告白したのと重なります



細胞1つ1つの能力については、今の唯物式な化学によって細胞1つ(受精卵)が細胞分裂、分化によって人間になるのは霊能(今風に言えば、超自然的な力?)ではなく、DNAによるものが明らかになっています。

この点については、物質としてのDNAは1869年に発見されていますが、構造や機能について分かったワトソンとクリックやハーシーとチェイスの実験が1950年頃で、この小説を書いたのが1920年頃であることを考えれば、遺伝なり分化なりが神のみわざなり、不思議な力によるものと考えるのも無理はないことでしょう。


ここで注目したいのは、Mの説が現代の化学的に正しいかどうか?ではなく、細胞1つが我々人間になるならば細胞と人間には等しい筈で、細胞はとても素晴らしいものであるのに、それの塊である人間は細胞に比べて大変劣っているという考え方です。

この小説が書かれた時代か、その後にDNAを解き明かさんとする人々は、生物の体の設計図であるDNA(遺伝情報)が進化した(高等な、複雑な)生物程多い筈だ!つまりは、ヒトは進化しか高尚な動物でそれに相応しいだけの遺伝子を持っているはずと考えました。
これについては、技術の発達により分かったのはヒトの遺伝子数はショウジョウバエとほぼ変わらない約2万であり、イネの約3万に劣るという事実でした。


Mの発想(恐らく作者の)と遺伝学者の発想は、それぞれ人間の価値を正反対に考えているものの、現代の科学的知識を持つ我々からするとどちらも滑稽で、科学的な事実に即していなく思えるのはなんとも皮肉的ではないでしょうか?(ここは自分が書きたいことを上手く書けず、自分でもよく分からなくて困りましたが、それもまたドグラ・マグラ的な気がしたのであえて書きました)













今回はここまでです。

正直言葉で説明するのが不可能な作品なので、読んでない方は1度読まれることをオススメします。
私は読み終えて、よく分からないことがよく分かりました。
この手の作品だと、作者は辻褄や理由をそんなに考えていないのに、読者が勝手に深読みしてこれはとても深い作品だと思ってるようなだけの気もしますね。


質問や疑問、書いて欲しい事があればこの記事のコメントか下記のTwitterアカウント(リプライ、dmどちらでも可)までお願いします

https://mobile.twitter.com/WIXOSSAIYAI


スポンサード